木村 允

木村 允 / これまで

LIFE STORY

この人を知る · これまで

沈んだ分だけ、
浮かぶきっかけを得てきた。

小学生のころの経験、事故、海外での就職詐欺、ベトナムでの起業と失敗、秋田への帰郷、テーブルゲーム事業の創業まで、木村 允の歩み。

木村 允(きむら まこと) / 最終更新

ここに載せているのは、本人が語った歩みです。うまくいったことだけでなく、うまくいかなかったことも含めています。

小学3年生のころ

担任の教師から虐待を受けました。当時もっとも強かった感情は無力感です。家庭にも悩みを打ち明けられず、どこにも居場所がありませんでした。

近所の、血縁のないお婆さんの家が安全地帯でした。愚痴をこぼすわけではなく、茶菓子をいただきながら話したりテレビを観たりする、他愛もない時間に安心できました。そのお婆さんも、小学3〜4年のころに他界しました。

それでも、自分の価値観は大切にし、第三者と接するときは相手の心の機微に気をつけていました。

24歳 内定、大事故、内定取り消し

初めて正社員として内定をもらった直後に大事故に遭い、3か月入院しました。松葉杖が外れるまで半年かかり、内定も取り消されました。お見舞いに来てくれる人はほとんどおらず、自分が実は孤独であることを実感しました。

「ある日突然できなくなることがある」と知り、世界観を広げようと決めました。SNSを通じて100人と直接会うことにしたのです。普通に暮らしていれば接点を持てない人たちと出会い、「こうであるべき」という考えが変わりました。

未経験でも参加できるアウトドアサークルを立ち上げると、約30名が集まりました。「未経験でもやりたい。それが許される場が欲しい」という人が多いことに驚き、自分が動けば交流の場は作れることを実感しました。

29〜30歳 初めての海外、就職詐欺、緊急帰国

29歳で初めて海外へ。未経験からスキューバダイビングのインストラクターになりました。働きながらWebデザインを学び、いつかは世界を旅しながら暮らしたい、という思いでの挑戦でした。

しかし4か月後、就職詐欺だったことが分かり、突然の解雇通知とともに緊急帰国。住所不定無職30歳になりました。そこから意地で再起し、IT業界に飛び込みました。

インストラクターの試験で学んだ、ティーチングとコーチングの違いは、その後の人との関わり方の土台になっています。

IT業界の約15年

要求開発、要件定義、基本設計、企画、制作、営業、情報発信、システム開発、デザイン、経営まで、一通りを一人で行うゼネラリストになりました。一方で、「どれを取っても専門家には及ばない」というコンプレックスも持っています。

ベトナム赴任

日本からの指示を外国人に伝える、あるいは外国人側の意図を日本に伝える立場を経験し、「同じ言葉でも見えている世界は違う」と実感しました。

プロジェクト発足当初の危機では、全社員を招集して徹底的な会議を行い、それがすべてを解決することにつながりました。あれがなければ、当時所属していた会社は間違いなく閉業していた、それほどの重責でした。

日本語を教えていたベトナム人のコミュニケーターたちには、最初から答えを示さず、考えてもらうことを意識しました。彼女たちはその後、日本などで働く優秀な人材になっています。

ベトナムでの起業と、その失敗

所属していた会社が経営不振に陥り、現地社員を大量に解雇することになりました。同じ時期に知り合った日本人と意気投合してベトナムで起業しましたが、当初の見込みとはまったく違う展開になり、創業半年で自転車操業が常態化。帰国して再起を目指しましたが、うまくいきませんでした。

帰国後、東京、そして秋田へ

ベトナム在住時代に知り合ったベトナム人起業家とともに、オフショア開発・AI開発企業の日本法人を創業し、支社長に就任しました。同じ時期にご縁があって農業プロジェクトにも携わりました。どちらも比較的順調な滑り出しでした。

コロナ禍で打ち合わせがすべてリモートになり、都内に住む理由が薄れました。同じころ、秋田の母親が心臓の病で入院し、帰郷。秋田では農業のプロジェクトに参画し、本業のかたわらで農作業をする生活になりました。

40歳 結婚

コロナ禍だったこともあり、マッチングアプリで婚活をしました。お互いの人生観を事前に把握できるためか、すぐに相手と結ばれ、交際から約1年後に結婚しました。

2023年 農業を離れ、父親になり、テーブルゲームへ

2023年1月、農業が自己実現につながるイメージを持てず、離れました。離れるときに「自分が本当にやりたいことはなんなのか」を自問自答しました。同年6月に第一子を授かりました。

廃れていく一方の故郷を何とかしたい。人が笑い合っている姿を見たい。そんな思いから、2023年2月にテーブルゲーム事業の創業を決意します。テーマは「テーブルゲームで社会課題解決を行う」こと。デジタルからアナログへ。テーブルゲーム団体「YOLUBE」を設立し、2026年現在も活動を続けています。

秋田県で初となるテーブルゲームの大規模イベント「ボドゲ中古市 でっけ」を企画・開催し、活動は市や県議会議員なども関わるものに成長しました。

このページについて、よくある質問

木村 允さんはIT業界でどのくらい働いてきましたか?
30歳で未経験からIT業界に入り、約15年間携わってきました。要求開発から経営まで一通りを一人で行うゼネラリストです。
海外での経験を教えてください。
29歳で初めて海外に出て、未経験からスキューバダイビングのインストラクターになりました。その後ベトナムに赴任し、日本と現地の間に立つ役割を経験し、現地で起業もしています。
なぜ秋田に戻ったのですか?
コロナ禍で打ち合わせがリモートになり、東京に住む理由が薄れたことと、秋田の母親が心臓の病で入院したことが重なって帰郷しました。
テーブルゲーム事業を始めたきっかけは何ですか?
廃れていく一方の故郷を何とかしたい、人が笑い合っている姿を見たい、という思いからです。2023年2月に創業を決意しました。

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